伝統の矜持

 

 

 

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ヴァイマル(ワイマール)は神聖ローマ帝国時代,ザクセン=ヴァイマル公国の首都であり,宮廷音楽家に J.S.バッハ,宰相にはゲーテが仕えていたことがあるそうである.第一次世界大戦後の1919年には,生存権や教育を受ける権利など国家に対して請求する権利である社会権を初めて盛り込んだヴァイマル憲法が制定され,さらに同じ年には合理主義・機能主義的デザインの総本山たるバウハウス大学が設立される.

しかしそのわずか14年後,バウハウス大学はナチスにより閉校され,ヴァイマル憲法も骨抜きにされてしまい,暗い時代を迎えることになる.そして第二次世界大戦終結,東西分断を経て東西ドイツは1990年に再統一.バウハウス大学の名称も1996年に復活した.

今回の出張ではパーティの席上でドイツの方々と会話する機会が多くあり,いろいろ雑談する中で東西分断時の思い出話も聞くことができた.彼らが言うに,当時の東側の印象を一言で表すと「モノトーン」.西側ではあたりまえのカラフルな看板もなく,風景はまるで違った,ということだった.しかし,そのような歴史がこのヴァイマルの落ち着いた風景をよく保ってくれたのかもしれない.街中の道路はほとんど石畳で,建物も石造りの古いものがとてもよく残っている.

そして,街の気配.街中に太い道路がないこともあって,けたたましい自動車の騒音からは無縁.そこにバウハウス由来か,そこここにモダンな彫刻や建物があって目を楽しませてくれた.一方で西側経済の浸透も進み,もちろん旧東側だからといって足りないものがあるわけもなく,至極快適な街だった.そして,そのゆったりとした時間の流れは,画一化された日本の街ではあまり感じることが出来ないものだったかもしれない.小さな街ではあるけれども,そこに通底するものは,歴史に裏付けられた誇り.本当の意味での豊かさがあるように思った.

 

Fujifilm FUJICA GS645 Professional, EBC FUJINON S 75mm F3.4
Fujifilm Neopan ACROS,シュテックラー改処方(中川式)

(upload : Jun., 2010.)