ブロニカ開発秘話 第1話  PLANETE

 このカメラは,ゼンザブロニカとは呼ばれていなかったかもしれない.ましてや,現在見られるような中判一眼レフカメラではなかったかもしれないのだ.

 ゼンザブロニカ,これは後にデラックスもしくはD型と呼称され世界のカメラ界に大きなインパクトを与えた最初のブロニカであり,1959年3月22日にアメリカはペンシルバニア州フィラデルフィアで初めて発表された.しかじ実にその7年以上も前,1952年1月17日にカメラの開発がスタートしたのである.

 当初は設計専任としてA氏だけが従事していた.それに加え元ニッカの技師であるN氏,それに善三郎氏の友人であるM氏らをアドバイザーとして企画と設計に着手された.実は最初の企画はミノックスタイプの小型カメラであったという.その理由が材料が少なくて済むということであったというから,戦後の厳しい時代を想起させる話である.しかしあまりにも各部が小さいため断念することとなり,既に5月には,後に商品となったブロニカと同様の66判の一眼レフに企画が変更されたという.このころ設計に参加できる人材を確保するため,新聞に「カメラ好きの方募集」なる広告が掲載され,設計陣が若干拡充された.以後発売までの7年間,朝は8時から,夜中2時3時の帰宅は当たり前.休みは元旦のみで,日曜日は外部アドバイザーとの検討,その結果を次の日曜日までにまとめたり設計に反映したりする毎日であったという.

 早1953年には部分試作が開始された.ブロニカの特徴である,レンズに干渉しない降下式のミラーは善三郎氏の提案であり,これが最初に着手された技術であるという.以後1958年まで試作機が多数制作された.

 ブロニカのもう1つの特徴として,フィルムバックとボディの状態を一致させずともそれらの間を自由に切り離したり接続して良いことが挙げられる.これはボディ内部に遊星歯車を持ち,これがシャッター・ミラーのスプリングチャージと,フィルムバックの巻き上げとの動力の分割を担っているためである.この原理は,なんと自動車のディファレンシャルギアに着想を得たものだという.ある日自動車がぬかるみにはまり,スリップしているのを見て,ひらめいたというのだ.ちょうどエンジン側が右手による巻き上げ,左右の車輪がそれぞれボディとフィルムバックに相当するわけである.

 この機構はブロニカに数々搭載されている先進的な機構の1つであり,ハッセルブラッド等の先行メーカに対するアドバンテージとなっていた.そのため実にカメラの発表を控えた1958年の末ごろまで,カメラの名称は PLANETE であったという.これは遊星歯車,つまりプラネタリーギア(惑星:planet を語源とする)から命名されたものであった.しかしいざ1959年にロゴデザインに入るとき,名前が女性的で弱いという指摘があり,1959年1月末の日曜日に検討会が開催された.

 検討会では様々な案が提案されたが,そのうち突然,前出M氏が「素直にブローニーフィルムのカメラだから,よってブロニカでは」と提案されたという.皆も賛同したが,そのとき善三郎氏が「業界に初参入するのだから,前座だ,頭にゼンザを付けたら」と発言.M氏は「これは良い,善三郎にカメラともとれる」となり決定したという.善三郎氏の「理想のカメラを自らの手で自らのために作りたい」という情熱ゆえのことだろうか.

 残る問題は海外での響きである.早速テレックスを米国のエーレン社宛に打電した.気がかりは頭にZが2つつくことであったという.数日後返事があり,北欧風で結構,ということで確定したというのが真相であった.なおロゴデザインは,エーレン氏が有名なシルバーマンに依頼し,合わせて説明書のレイアウトもされたという.

 かくしてゼンザブロニカというカメラは完成した.前述の通り,1959年3月米国発表,直後に輸出開始.また国内では同4月18日に発表され,発売開始は同12月8日であった.

 しかし現在,中判一眼レフ形式のカメラとしてのゼンザブロニカは,既に製造されていない.こうして生まれたゼンザブロニカというブランドは,今,消滅の危機に瀕している.

(2005.7)