ブロニカ開発秘話 第2話  首無しカメラ

 ゼンザブロニカを特徴づける要素の1つとして,ニッコールレンズが搭載されたことを忘れるわけにはいかない.しかしこの影にもまた,様々なストーリーが隠れていたのだ.

 吉野善三郎氏は,自ら会社を興しブロニカの開発に着手した.当初は資金を蓄えるため,まずは女性用ブローチ,続いてパウダーコンパクト・煙草ケース・ライターなどを製造販売した.そのためカメラを製造する上で特にノウハウが必要となる機械要素や光学部品については,今で言うアウトソーシングを適宜行っていた.例としてファインダー内部にはマットガラスとは別にフレネルレンズが搭載されているが,当時これを製造できる会社は限られていた.そのため当初はエクターブライト(コダック製),後にトーコーブライト(東京光学製)が用いられたという.その他,シャッタームラを排除するための高精度なミニチュアベアリングにはスイスRMB社,またスプリング材料としては当時光学界ではスイス製が主流であったところ,これよりも高性能なスウェーデン製を全てに用いたという.このようなことでブロニカはこれに搭載するレンズも社外から調達する必要があった.

 ブロニカの開発試作段階では,実はオリンパスによるズイコーレンズが予定されていた.ズイコーは当時流行の2眼レフカメラでも採用された事例がある.ブロニカのためのレンズとしては,試作は7本に及んだという.しかしある日突然,善三郎氏が試作機を持って行方不明となった.なんと,日本光学へ制作依頼したのであった.日本光学ではレンズを供給するにあたり,カメラの評価試験を行ったという.もちろんこの試験は無事通過し,レンズが供給されることとなったのである.

 日本光学というと,戦後軍需企業から民需企業へ転換する際に大変なリストラを行ったものの,このころ既に距離計連動型ニコンカメラ(SP型など)で高い評価を受け,既に大企業であった.それに対しまだカメラの1台も発売していないブロニカである.ある設計者は,ある日本光学の社員の態度が大名が町人へもの申すように感じ,以来日本光学に嫌気を覚えるようになったという.もっとも当時対応に出た日本光学の社員のうち二人は,後に社長を経験された方であったとのことだ.

 このような日本光学とブロニカの関係はカメラそのものにも微妙な影響を及ぼしている.カメラではシャープなピントを得るため,レンズからフィルム面までのバックフォーカスは高精度に管理されていなければならない.しかもブロニカの場合,ボディからフィルムバックを取り外し交換することが出来るため,それぞれの寸法の一致が大きな問題となる.そこで許容差(公差)を設定するが,打ち合わせ上でこの公差のうち 1/3 を強引に日本光学側で確保されたという.結果的に,ボディ側に残された公差は全体の 2/3 であり,ボディ側 1/6, フィルムバック 1/6 の合計 1/3 をメカニカルバックとせざるを得なかった.かくしてこれらを差し引いた残りの 1/3 をフィルムの平面性に関する許容値としたのである.

 このフィルム平面度の確保については,電子式シャッター試験機と併せ30万円の応用化研究補助金を通産省から受け,開発したものという.H社ボディについて,フィルム浮動を中心部につき計測したところなんと最大で上記許容値の6倍の浮動があり,またばらつきも相当大きかったとのことである.当時ブロニカで制作した試作機も大差ない結果であり,改良のための開発が開始された.結果としてフィルムに不要な巻き癖を残さない方式が開発されたという.これは当時社内ではコースター方式と呼ばれていた.

日本光学との間で発売間際までやりとりが行われた証拠の1つが,冒頭のページに掲載した試作機の写真に現れている.この試作機はもっとも最終期のものであると思われるが,よく見るとレンズ繰り出し筒の根本に,180mm F2.5 や 250mm F4 レンズ等を装着するための大バヨネットが加工されていない.これはやはり1958年頃にニコンと打ち合わせが行われ,その後仕様に追加されたものであるとのことである.なおブロニカが発売された時はレンズは 50mm, 75mm, 135mm の3種のみであり,この大バヨネットに装着されるレンズは遅れて登場した.

 しかしこのように苦労して搭載が実現した日本光学製ニッコールレンズであるが,なかなか十分な数が供給されなかったとのことである.仕方なく,銀座松島眼鏡店等にはレンズを装着しない,ボディのみを納品したこともあるという.善三郎氏はこれを首無しカメラと呼んでいた.その後スウェーデン大使館からデザイン問題のクレームがあるころまで,結構この問題は続いたという.後に様々なメーカからレンズの供給を受けたり,自社ブランドのレンズの開発に進出した理由はこのあたりにあったのかもしれない.

 今やブロニカは大手レンズメーカの一部門となっている.レンズの供給には不安がないわけであるが,果たして今後どのようになるのであろうか.

(2005.7)