明かり

 

 

 

 


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文明が実現したものには様々あれど,明かりに匹敵するほどのものを見つけることはなかなか難しい.人類最古の文明の証しである洞窟の壁画だって,明かりがなければ描かれなかったものかもしれないし,建築物や地下道など人間の居住空間の拡大を支えるのもまた明かりの役割の1つである.

そもそも文明ということばだってそうだ.その「明」は明るさを意味するのではなく,「詳しく知っている」「通じている」という意味での「明るい」だよ,という指摘もあろうが,それ以前に,知っていることを「明るい」と言い表す言語的センスそのものが,いかに我々が光に頼って生きているのかを表している.だいいち英語でも,"light"(明かり)を豊富にするという由来から "enlightenment"(啓蒙)という単語が出来たぐらいだから,なにも日本に限った話でもない.創造主はまず「光あれ」と言ったのだ.

なぜ我々はこうまでして明かりを求めるのか.明かりは我々動物の生命活動にとってどれほどの意味があるのか.確かに食べ,飲み,呼吸し,体温を保つことが出来ればおおよそ生命を維持することができ,それに対し明かりは直接的には役に立たない.実際,モグラやコウモリなど光にはほとんど頼らず生きることが出来る動物もいる.しかしそれらは視覚のかわりになる別の鋭敏な感覚を持っている.つまり我々動物は,「知る」という行為なくして生きて行くことはほとんど不可能に近い.だから知ろうとすることは我々の本能的な欲求なのだと思う.

私の研究の1つに,人が情報を得るための光のコントロール,というものがある.物の照らし方を変えて様々な情報を見せるこの技術はまだ生まれて間がなく,奇異なもののようにとらえられることもあるが,我々人間と光の間の長い歴史を考えるとさして特別な事ではないように思える.それどころか,将来,新聞やテレビのように情報を見せるということと,ものを照らすということが次第に融合されてくるのではないかと思っている.

神が創造した光に比べ,我々人類が作り得た光はあまりにも弱々しい.しかしカメラを固定し,シャッターを少しの間開けるだけで,思いのほか緻密なディテールやなめらかな艶が昼間と変わらずそこにあることが分かる.まだまだ我々には見落としているものがあるに違いないと思う.

CONTAX T, Carl Zeiss Sonnar 38mm F2.8 T*
Fujifilm Neopan ACROS
シュテックラー改処方(中川式)

(upload : Sep., 2006.)