石仏

 

 

 


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夕刻、多数の石仏が並ぶ寺を訪れた。400体あまりある石仏はそれぞれ異なる顔立ちをしており、その中には必ずや親や知人など求める人に似た顔があるといわれる。古くは貴族の肖像画、近代には写真の登場により故人を偲ぶことが可能になったが、そのような手段も財力もない民衆はそうやって面影を探していたのかと思うと、少し切ない気持ちになる。

今回は AGAT 18K という、ソ連時代の末期から崩壊後にかけて作られたカメラを用いて撮影した。共産圏のカメラは、第二次世界大戦直後は敗戦国ドイツから取り込んだ技術により高品質で高度なカメラが見られたものの、競争原理が働きにくい計画経済の弊害か、次第に品質が低下するとともに、電子化の進んだ西側のカメラとの格差が開いていった。このカメラにも樹脂成形技術の稚拙さが随所に見られ、頑健性や信頼性の観点でも評価が難しいカメラである。

しかし、それで済まないのが当時の「鉄のカーテン」の向こう側の面白さである。本体の品質感とは不釣り合いな、全面にコーティングが施されたオールガラス製3群4枚の本格的なレンズが搭載されており、目測であるがフォーカシング出来るようになっているのは、どういう商品企画、経営判断によるものなのだろうか?と考え、むしろ、企画や経営という発想がないからこそ、このようなカメラが生まれ、延々と作り続けられたのかもしれない、と思い至った。自動露出どころか露出計そのものがなく、天気に合わせてダイヤルをセットするとシャッター速度と絞りが決定される仕組みであるが、許容度の高いネガフィルムでは必要十分、むしろ電池が不要な点が好ましい。

前身の AGAT 18 を含めると、1984年から1990年代末期まで作られたと思われるこのカメラ。このころ我々西側諸国では、カメラはAF/AE/自動巻き上げ, 自動車はAT/AC(オートエアコン)/パワーウィンドウなど、自動化全盛の時代であった。しかしその反動か、運転を楽しみたい一部の好事家に、全てが手動のクラシック車は人気がある。そういう見方をすると、この AGAT での写真撮影は、ラーダ・ニーヴァを現代社会で転がす楽しみにちょっと似たところがあるのかもしれない。

 

BelOMO AGAT 18K, Industar 28mm F2.8
Fujifilm Neopan ACROS,
シュテックラー改処方(中川式)

(upload : Sep., 2024.)

 

 


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