ヴェラ
Werra III と交換レンズ
ヴェラ(Werra, ウェラとも)は、人民公社カールツァイス・イエナ(東ドイツ)が製造販売したカメラである。目測式の初期型から、距離計と露出計を搭載しレンズ交換が可能なタイプまで様々なモデルがあるが、それら全てに共通する特徴として、レンズ基部のリングを回してフィルムの巻き上げを行う独特のメカニズムが挙げられる。また、オリーブグリーンの擬革が貼られ、レバーやダイヤルなどがまったく見当たらない洒落た外観や、逆向きに取り付けるとレンズカバーになるフードなども印象的だ。しかしその機能、とりわけファインダ光学系が極めて優れていることは、あまり知られていない。最終期のモデルではファインダ内に、極めて高精度な距離計と充実した露出情報表示が組み込まれている。しかも、初期型からほとんど大きさを変えることなく。
カールツァイスグループでは、カメラはツァイス・イコンが製作し、カールツァイス・イエナはもっぱらレンズや科学用光学機器など、光学そのものに携わってきた。ところが東ドイツでは戦後、社会・経済的状況からカメラ増産の必要性が高まり、のちに述べるように政策的にカメラ製造がカールツァイス・イエナに命じられた[1]。ヴェラはそうして生まれたカメラだが、実際、カメラを調べるほどに、カメラ屋(機械屋)ではなく、レンズ屋(光学屋)が作ったカメラだということが実感させられる。プリズムなど光学部品の高い工作精度により複雑な組み立て・調整を不要としたり、他のカメラでは機械的に連動させている部分を光学的に解決していたりと、いかにも光学屋のカメラとなっているのだ。そして、外観からできるだけ「メカっぽさ」を消したミニマルな造形には、時代を超えた美しさがあるとはいえ、あちこちにノブやレバーがついた複雑なカメラほど、もてはやされた時代には早すぎたのかもしれない。そこで、ここではそのようなヴェラの才色兼備ぶりを、その仕組み・構造を軸にして解説する。
解説動画
ヴェラの各モデル
カメラ 左から Werra V, matic (接写アクセサリ付き)、mat, III(初期型)、III(最終型)、I
ヴェラの各モデルにつく番号は世代を表すものではなく、以下の表のように機能の有無に対応している。例えばヴェラ I も最終期まで製造されているし、同じ型番のモデルでも時代を経るに従い、外装の形状やアクセサリシューの有無などに変化が見られる。
距離計なし レンズ固定 | 距離計連動 レンズ交換可 | 備考 | |
---|---|---|---|
露出計なし | 初代、I | III | Iのファインダは3種類(素通し、アルバダ、実像式) |
非連動露出計 | II | IV | シャッターボタン後方に指針窓あり |
連動露出計 | mat | V, matic | シャッターボタン横に採光窓あり、トップカバーが平坦なものはない |
表からわかるように、距離計の搭載とレンズ交換の可否はセットとなっている。また露出計の仕様は大きく二種類に分かれ、非連動露出計(絞り値やシャッター速度の設定とは独立した露出計)を搭載したモデルは、外装天面(シャッターボタンより後方)に三日月型の露出計指針の窓がある。一方、連動露出計のモデルにはそれがなく、露出計の指針はファインダ内の定点合致式(値を読み取る必要がなく、指針が中央に来るように絞りとシャッター速度を設定すればよい方式)となり、外観上では明り取りの窓がシャッターボタンの横につく。
初期の一部のモデルを除き、標準レンズとしてテッサー50mm F2.8が付属し、交換レンズとして35mm広角レンズと100mm望遠レンズが用意されていた。レンズ交換が可能なモデルはこれらのレンズに対応したフレームをファインダ内に持ち、また、距離計は全てのレンズに連動する。
初代は巻き上げリングが金属製で擬革が貼られておらず、これが I 型との識別点となる。また V 型は露出計の窓に蓋がついており、matic は蓋がないが、それ以外は特に差異はない。
各モデルのファインダ像
初期のモデル(初代、I)には素通しやアルバダ式など単純な形式のファインダを備えるものもあるが、距離計搭載モデルが出たのちに光学系が共通化され、最終的には全てのモデルで上の図のようなファインダ像となった。のちに述べるように実像式(ケプラー式)のファインダであるため、当時のカメラによく見られるブライトフレーム(白枠)ではなく、黒色のフレームが表示される。レンズ交換ができないモデル (I, II, mat) では100mmのフレームがなく、またファインダ像全体は35mmレンズをカバーするため、搭載レンズに対応する50mmのフレームの外側がかなり広く視認できる。
連動露出計を搭載したモデル(mat, V, matic) では、ファインダ内下部に凸の字の形をした領域があり、その中に黒い指針が表示される。絞り値またはシャッター速度を変化させ、中央の凸部に針を合わせることで適正露出が得られる。またこれらのモデルでは同時に、画面右下でレンズの絞り値とシャッター速度が視認できるようになっている。視野の一部が遮られてしまっているように思えるが、実際にはこの部分は50mmレンズの視野外であり、視野に影響するのは35mmレンズだけである。またこの領域は、当該35mmレンズを装着するとレンズ自身が見える(レンズにより視野が遮られる)領域なので、損をしているわけではない。
ファインダの中央には上下像合致式距離計の可動像エリアがある(III, V, matic)。実像式であるため、ファインダ像との境界線はくっきりしている。長方形の領域の上辺、下辺いずれでも距離合わせが可能である。距離計やフレーム表示のためにハーフミラーが用いられていないため、アイピースに備わった調整範囲の広い視度補正機能と相まって、明るく明瞭な優れたファインダである。
左:ヴェラI(素通しファインダ) 右:ヴェラIII
カメラを後ろから見て、アイピースが丸いものは実像式ファインダ搭載機で、視度補正がある。アイピースが四角いもののうち、上の写真のようにシンプルな小さい窓があるものは素通しファインダ(等倍で、内部にはガラスブロックが入っているだけ)である。四角いアイピースでも太い縁取りがあるものはアルバダ式ファインダである。
その他の変更点
初期のモデルは平らな天面にシャッターボタンだけがあり、また前面にはファインダのための窓が1つあるだけであった。後に距離計や露出計が備わると、そのための窓が追加される。これらの窓には、後にそれぞれ銀色の窓枠がつくようになる(最初の写真の mat や matic がそうである)。露出計の指針をファインダ内で見せるための光路が従来のファインダ光学系の上に配置されたため、連動露出計付きモデルでは天板が丸く湾曲するようになった。さらに、のちのモデルでは部品や製造工程の共通化のためか、光路がないモデルでも湾曲したトップカバーに統一される。
ヴェラIIIの初期型(左)と最終型(右)
最終期になると、ボディ前面の窓(多いものでは、露出計・距離計・ファインダの3つ)が全てつながったデザインに変更される(型番にEを付けて区別されることがある)。また、初期のモデルにはアクセサリシューがなく、のちのモデルで追加されている。
全てのモデルでボディの横幅や厚みには変化がない。一方、ボディの高さは徐々に高くなっている。上の写真のうち、もっとも単純なI型に対し、距離計を搭載したIII型は高さが約1mmだけ高くなっている。湾曲した天板を持つモデルでは、さらに約6.5mm高くなった(湾曲部の頂上までの高さ)。いずれにしても、機能の大幅な追加に対し、大きさの変化は僅かであった。
外装は、初期のものにはグリーンが多いが(ブラックのものもあった)、後にブラックに統一される(上の写真のmatが該当)。さらに最終期には、革のテクスチャでなく布のような規則的な模様のものに変更された。
重さ(実測値)
モデル | 重さ | レンズ | シャッター | トップカバー形状 | その他 |
---|---|---|---|---|---|
I | 437g | Tessar 50mm F2.8 | Vebur 1/250 | フラット | 素通しファインダ |
III | 537g | Tessar 50mm F2.8 | Synchro-Compur 1/500 | フラット | 窓枠なし |
mat | 605g | Tessar 50mm F2.8 | Prestor RVS 1/750 | カーブ | 窓枠あり |
V | 619g | Tessar 50mm F2.8 | Prestor RVS 1/500 | カーブ | 窓枠なし |
操作
距離計の仕組み
ヴェラのファインダは、フレーミングに用いる視野全体と、距離計可動像の両方が実像式の、上下像合致式距離計内蔵ファインダである。この方法ではファインダの像(静止像)と距離計可動像との間の境界線がくっきりしており、非常に正確、容易に距離合わせを行うことが出来る。上の光路図(III型のもの)において、ファインダ側の光線(青線)と、距離計可動像側の光線(赤線)がともに、凹面鏡の面上で一旦結像している(1点に集まっている)。このように、光学系の内部で一旦、光が焦点を結ぶ方式を実像式と呼び、この像面に反射面やマスクを置くことで、接眼レンズから見たときにくっきりした像を見せることができる。
平坦であるべき像面に球面鏡が用いられているのは、この球面鏡がフィールドレンズの役割を果たすためである。上の図のように、ケプラー式光学系(この場合は対物レンズの焦点距離が接眼レンズよりも小さいために、対象が実物よりも小さく見える)では、視野の中心に比べ周辺ほどケラレが生じ、像が暗くなる。そこで像面にフィールドレンズを置くことで像面の周辺部を通過する光線を曲げ、ケラレを防ぐ。このような方式は潜望鏡のようにレンズを多数連ねた光学系(リレー光学系)でよく用いられる方法である。ヴェラでは凸レンズと同じ働きをする凹面鏡を用いることで、小さな対物レンズを用いながら、視野の隅々まで明瞭なファインダ像を提供することに成功している。さらに、球面鏡の反射面にマスクを描くことでフレームを表示し、また、反射面(蒸着面)に穴を開けることで距離計や露出計指針を表示できる。
ケプラー光学系では像が上下・左右に反転してしまうので、正立プリズムが必要となる。ダハ面(90°の屋根型の反射面)を用いることで、ファインダ像、距離計可動像とも4回の反射で像を正立正像にしている。
Werra III のファインダ光学系ユニット(裏から見たところ)
一見複雑なファインダのようだが、多くの部品がプリズムに貼り付けられているため、内部はあっけないほどシンプルである。メインプリズムユニットの他には、それから離れた位置にある距離計側のプリズムと、動かさねばならない距離計側のレンズユニットが取り付けられているだけで、組み立て・調整が必要な部位は距離計の上下左右の位置合わせなど必要最小限となっている。また、これらの部品は頑丈な一体のダイキャストに取り付けられており、衝撃等にも強いように思われる。
Werra III のファインダ光学系ユニット(装着状態)
戦後、東側のカールツァイスグループでは、ペンタプリズムを搭載した世界初の量産一眼レフカメラ、コンタックスSを1949年に発売している。今では当たり前のペンタプリズムも、当時は最先端の手法であった。何度も光を反射させる複雑な光路は組み立てに手間がかかり、販売後も狂いや汚れの影響を受けやすい。この問題を凝った形状のプリズムで一発解決してしまう発想力と、それを支える製造技術が当時のカールツァイス・イエナを支えており、それがこのヴェラの優れた、かつ独自性に富むファインダを実現した原動力になったことは想像に難くない。
なぜ上下像合致式が優れているのか
多くの距離計連動式カメラでは、二重像合致式が用いられている。それに対し、より高い精度が求められる軍用の距離計(戦艦の砲撃用距離計など)では、上下像合致式が広く用いられてきた。その理由は、上下像合致式のほうが高精度だからである。
上の図は、上下像合致式と二重像合致式の違いを体感するために作成した画像である(ファインダ像ではなく、画像処理によりシミュレーションしたもの)。二重像合致式では、像が大きくずれているときはそのずれが視認できるが、ズレが一定量以下になるとずれが認知できなくなる。つまり、ズレが見えなくなる。そのため、正確な距離合わせをしようとして、合焦距離の前後を何度も行ったり来たりしたり、像の動く速度を用いて合わせこんだことはないだろうか。それに対し、上下像合致式では像が一致していることが目に見え、迅速に、確信を持って距離合わせをすることが出来る。その理由は副尺視力(バーニア視力)という効果があるためである。
この効果はノギスの副尺に用いられている。上の写真では、副尺の線の一致から測定値が5.65mmであると読める。人間は0.05mmの目盛りを読むことはできないが(単なるグレーの帯に見える)、線の一致とズレに対しては極めて敏感であるためである。一般に人間の視覚の角度分解能は高くても30秒程度(視力2.0の場合)と言われているが、それに対し副尺視力は条件が良ければ2秒まで検出できるとされている。もちろん、複雑な光学系を経ての観察であり、対象の形状にも依存するが、15倍とはいわずとも、数倍程度の効果はあるのではないと思われる。
他のカメラとの比較
M3以降のライカは実像式の二重像合致式距離計を備えており、その利点として、二重像の輪郭で上下像合致式としても利用できることを挙げている。しかし、実際には二重像の内外で対象の見え方や輝度が大きく異なるなど、本当の上下像合致式のようには見えないし、それをいうと虚像式のぼやけた境界線でも上下像合致の効果が同程度に得られることが、上の図からもわかる。実際に交互に比べてみても、ヴェラの距離計では数十メートル以上離れた物体と、ほぼ無限遠の物体の物体の距離を区別できるのに、ニコンやライカでは弁別できないケースがあることが分かる。上下像合致式の距離計のもう1つの利点として、ファインダに組み込んだとき、そのファインダ像を明るく出来るという点が挙げられる。通常、二重像合致式の距離計ではハーフミラーが用いられており、二重像でない部分ではその片側の光しか届かないため、ファインダの明るさが低下してしまう。ブライトフレームも同様で、そもそもこれは暗くしたところにフレームの像をハーフミラーで重ねることで「明るさをもとに戻している」だけ、つまり、暗いファインダ像の中で相対的に明るいだけなのだ。それに対し実像式のファインダでは、ハーフミラーのように光を減じる要素が用いられていない。もし、プリズムやレンズ各面の透過率・反射率が100%であり、通過光束が瞳径より大きいならば、ファインダの明るさは実物を視認するのと同じ明るさとなる。
ヴェラの距離計は、その小さなボディに目立たないように距離計が仕込まれているのでそうは見えないが、距離計の基線長が52mm(実測値)と長く、倍率も実測約0.67倍と小型のカメラとしては大きめであることが挙げられる(例えば、レチナは0.5〜0.6倍、ライカは標準モデルで0.72倍)。よって有効基線長は35mmとなる。これだけでもこのクラスのカメラとしては十分だが、ヴェラは上下像合致式に加えて調整範囲の広い視度補正機能により鮮明な像を視認できることから、ライカやニコン、コンタックスなどに勝るとも劣らない距離精度を持つことは、持ち替えながら比べてみるとすぐに了解できる。ライカ(M3以外)では光学系の収差により、目の位置がずれると距離計可動像が大きく揺れ、それによる精度低下が無視できないが、ヴェラではそのようなこともない。
実像式の上下像合致距離計を搭載したカメラとして、戦前のプロミネント(いわゆる花魁)、クラロヴィット2,スーパーコダック620, エクトラ、メダリスト、レニングラードが挙げられる。これらのうちプロミネント、エクトラ、メダリストは二眼式(ファインダと距離計が別になっている形式)である。クラロヴィット2は距離計可動像の上側が真っ黒に見えてしまうという欠点があり、またスーパーコダック620は距離計可動像の領域がなぜか三角形となっている。またこれら2機種はレンズ交換もできない。ソ連のフォーカルプレーンシャッター式高級カメラ、レニングラードに搭載されているファインダ・距離計はヴェラとほぼ同一の構造となっており、一説では共通の開発プロジェクトであったということである。
なお上下像合致式距離計を搭載したカメラとしては他に、コダック35RFやアグファカラート36があるが、これらは実像式でなく、ファインダ視野が2つに分割され全体として左右にずれる形式となっている。
露出計の仕組み
ヴェラII, IV に備わる露出計は非連動タイプで、当時の他のカメラ(例えばレチナIIIcやスーパーイコンタシックスIV)と大きく変わらない。それに対し、mat, V, matic に備わる連動露出計は光学補正式と呼ぶべき独特の構造となっている。
上は Werra mat の内部である。Aはメーターモジュールであり、ボディ天面の明り取り窓からの光を2回反射させて内側の窓まで導き、その間にある指針の黒い影がはっきりと見えるようになっている。このモジュールは密閉構造でセレン受光部と一体となっており、外部との連携はない。それでは、どのようにして絞り値・シャッター速度・フィルム感度の変更により指針の位置を補正するか。国産機を含め多くのカメラでは、メーターユニットまで糸を引くなどして、メーターそのものを機械的に回転させるものが多い。それに対し、ヴェラではレンズの移動により光学的に補正を行っている。レンズ側の設定(絞り値・シャッター速度・フィルム感度)は機械的に合成され、Bのカムの回転として伝達される。それによりレバーCが動かされ、それに固定されたレンズDがカメラの前後方向に移動する。これにより、Aの指針の像が見かけ上、変化するわけである。これをEのプリズムがファインダ光学系へ導き、プリズムブロックの球面鏡に設けられた凸形状の穴から覗くようになっている。
これは、Werra mat からファインダユニットを取り外して裏返したものである。前述のように、距離計連動モデルの実像式ファインダは距離計を持たない他のモデルにも展開され、このダイキャスト製のフレームは全てのカメラに共通に用いられている。そのため、距離計のためのプリズムとレンズは取り付けられていないが、特徴的なメインプリズムは同一の形状となっている(球面鏡の反射面は、距離計のための開口部や100mmレンズ用のフレームの有無が異なるため、共通部品ではない)。ヴェラは比較的安価なカメラであったが、ボディ・裏蓋に加えこの距離系ユニットは頑丈なダイキャスト製で好感が持てる。このユニットの上面には前述のように露出計のための光学系(パーツ C, D, E等)が設けられているが、ボディ上カバーの膨らみは、この光学系のスペースのために設けられたものである。
連動露出計を備えたヴェラはもう1つ、レンズの絞り値・シャッター速度がファインダ内から確認できる機能を持つ。このために、ファインダの対物窓のすぐ内側に一対のミラーが備えられている。広角レンズを取り付けるとレンズにより遮られてしまう、いわば「無駄な領域」にこれらを表示するため、レンズよりの角にミラーが取り付けられている。一方、レンズの絞り・シャッター速度が見通しやすいのは反対側の角である。そこで矢印のように光路を2回折り返すようになっている。もちろんこれらのモデルでは、絞り値・シャッター速度の指標がレンズの真上からファインダ側へ移動されていることは言うまでもない。
以上のように、ヴェラはいかにも「光学屋」らしいカメラとなっている。具体的には、
- ミラー・マスク等を並べるかわりに1体となったプリズムブロックで、3つのレンズに対応した見やすいファインダを実現
- 高精度な実像式上下像合致距離計をファインダ内に組み込み
- 絞り・シャッター速度・フィルム感度の変化による露出計指針位置の補正を光学的に実現
- 絞り・シャッター速度のファインダ内表示のために文字板等を組み込まず、光学的に実現
- メカらしさを極端に避けた、ミニマルな外観
- レンズ保護を兼ね、レンズフードをユーザに携帯させ使わせることが出来るレンズキャップ
フィルム巻き上げ機構の仕組み
ヴェラを語るとき真っ先に取り上げられるのは、巻き上げの操作法である。しかし、これは何も奇をてらったものではなく、合理的かつ使いやすいものである。実際、軽くスムーズに動作する点は特筆に値する。
ヴェラからファインダユニットを取り外すと巻き上げ機構が現れる。レンズ外周の巻き上げリングはレンズシャッターのチャージレバーを直接押す。それと同時に、リング後方のピン(上の写真ではリングの11時位置)が右へ動き、銀色の大きなラックギアを右へ動かす。これにより、ラックギアに噛み合ったピニオンギアが回転し、直結されたスプロケットが規定量、回転する。この軸にはもう1つ、ラックギアの下に黒色のギアがあり、これがフィルム巻取り軸を回転させる。
一般に、レンズシャッターカメラではシャッターチャージの負荷のほうがフィルム巻き上げよりも大きいと言われる。しかしほとんどのカメラでは、巻き上げ軸の回転を方向変換してレンズ側へ伝えるため、その機構が曲がったり、摩耗したりするものも多い(例えばレチナのラックギアは摩耗しやすい)。そのため、逆にレンズシャッター側の回転動作をボディへ伝え、フィルムを巻き上げる仕組みが考案された。これはヴェラが最初ではなく、ツァイス・イコンの35mmフィルム用テナックス I, II やコニカIIIシリーズの招き猫風レバー巻き上げも同様の発想に基づいたものである。それらに比べ、ヴェラのそれはデザイン的にも自然で、ボディ全体のミニマルなデザインとマッチしている。戦後、東側の人民公社ツァイス・イコンではテナックス(その後タクソナと改名)を製造しており、ヴェラでは35mmフルサイズ化され、フィルムの巻き上げ方向が逆向きになるなど完全に再設計されているとはいうものの、これらの使い勝手の良さが評価されていたのかもしれない[3]。
この巻き上げ機構が使いやすい理由として、リングの直径がある。ノブで巻き上げるカメラの場合、ノブの直径はカメラの厚み等により制約されるため、あまり大きな半径のものは用いることができない。それに対しヴェラの方式では直径が大きく、軽い力で、また小さな回転角で(1/6回転、60度に満たない回転で完了する)巻き上げを完了できる。
フィルムの巻き戻しは底面のノブまたはクランクで行う。ノブ型のものは薄型で回しにくいと言われるが、実は5mmほど引き出すことができ、引き出しているときだけ適度な摩擦が生じる(フィルムテンションにより逆回転しにくい)ため、引き出すとかなり巻き戻ししやすくなる。また、後のものではクランクが付くようになり、そのかわり引き出せなくなった。
カメラ底部にはほかに、フィルムカウンタが備わる。指標(中心軸の赤点)はフィルムを巻き上げると時計回りに1回転弱(36/37回転)し、それにより停止位置では1ずつカウンタが進む。このラチェットギア(爪)を用いないカウンターの仕組みは、オリンパス・ペンのフィルムカウンター(カウンターの円盤がぐるぐる回る)に似た仕組みである。さきの内部構造で見られたように、フィルム巻取り軸は単にスプロケットから歯車で回転させられるだけだが、この歯車のギア比を調整し、ちょうどこの36/37回転を得ているのである(もちろんフィルムの巻取り量は巻き取った太さにより変わるため、摩擦で滑るようになっているのは他のカメラと同じである)。
裏蓋の脱着は三脚穴の周囲のダイヤルを回すことで行う。また、最終期のタイプでは、このダイヤルがフィルム巻き戻し時のスプロケットの切り離しにも用いられる(Rに合わせるとスプロケットが逆回転出来るようになる)。そうでないタイプは底面のボタンを押しながら巻き戻すことになる。
オリンパス・ペンに似ているというと、取り外し式の裏蓋もそうである(コンタックスやテナックスを含め、ツァイスのカメラに多い方式ではあるが)。カメラを小型化しようとすると、裏蓋開閉式より取り外し式のほうが少し小さくなる。さらにヴェラでは、フィルムを右側に装填し左に送ることで、フィルムパトローネのあの邪魔な突起(小型化を妨げる邪魔者として、カメラ設計者に嫌われている)を軍艦部下側の穴へ差し込む構造とし小型化している。この、裏蓋取り外し式と左への巻取りの組み合わせにより、パトローネの軸のぶんだけ小型化するという考え方は、のちのローライ35でも利用されている。左へ巻き取るカメラはローライ35がそうであるように、左手巻き上げになってしまうことが多いが、ヴェラではそもそもそういう区別もない。なお、ヴェラの裏蓋は頑丈なダイキャストが底まで回り込んだ形状となっている(つまり底面は、ダイキャストと薄板プレスの底カバーの二重になっていて遮光を完全にしている)。
フィルムゲートが単なる直線でなく、斜めのギザギザとなっている点にも技術的な理由がある。当時、フィルムの平面性に関する広範な研究が行われ、その成果として搭載されたシステムである。フィルムを送る際に、フィルムを幅方向に広げる方向に力をかけ、フィルムがより平面に近づくよう、このような構造になっている。
ヴェラはのちに述べるように国策により企画され、価格が市場原理でなくトップダウンに決定された。そのためカメラの製造原価(工場出荷価格)を100マルク未満とする必要があり、一方、レンズに40マルク、シャッターに22.5マルクを要した。そのためカメラ本体にかけられるコストが極めて制限され、結果としてこのような単純な設計にいきついた経緯は、同様にレンズに多くのコストを割いたために合理的な設計を迫られたオリンパス・ペンの経緯に似ているとも言える。他にも、外観を担当したエーリッヒ・フリーべがデザイナーとしての訓練をまったく受けていなかったことや、巻き上げノブの直径を大きくして操作力を軽くするアイディアなど、明らかに偶然の一致と思われる共通点は多い。
ヴェラのレンズ
左から、Cardinar 100mm F4, Werra III + Tessar 50mm F2.8, Flektogon 35mm F2.8
ヴェラのレンズとしては、初期のものに Novonar 50mm F3.5 (Novarの変名でトリプレット型)が装着されているが、その後は一貫して Tessar 50mm F2.8 が装着されている。また、レンズ交換できるボディに対しては広角 Flektogon 35mm F2.8 と望遠 Cardinar 100mm F4 の2本が用意された。Cardinar は光学設計は 100mm F3.5 であったがボディ側の絞り値が1/2段ステップであったために不都合があり、機械的にF4に制約されることになった。そのため、このレンズは絞りをいっぱいに開いても絞り羽根が少し見えた状態となる。レンズ構成は、ビハインドシャッターであるため広角はレトロフォーカスタイプ(そのため Flektogon 銘)、望遠はゾナータイプの設計となっている。
ヴェラは、かのカールツァイス・イエナ自身が設計・製造したカメラである。よって当然に、レンズもカールツァイス・イエナ銘となっている・・とおもいきや、そうでないものが特に後期モデルに多く見られる。
上の写真で、左端のものはヴェラIIIに付属していたもので Carl Zeiss Jena の Tessar 銘となっている。それに対し、隣のレンズは Jena, T としか書かれていないが、光学系は同じである。これはドイツの東西分割後、西側(オーバーコッヘン)に逃れた勢力と、東側(イエナ)に残った勢力の間で商標権闘争があったためである。世界中で "Carl Zeiss" の商号や Tessar 等の商標に関する訴訟合戦が繰り広げられた後、1971年に和解する。その後、東西ともに Carl Zeissを含む商号が利用可能になるが、それまでは各国の裁判所の判決によって使用できる商号が制限された。そのため、東側ツァイスは敗訴した国への輸出品に Carl Zeiss や Tessar の名称が使えず、かわりに "Jena" や "aus Jena" などの表記を用い、またレンズ名称も頭文字だけにするなどの対応を取った。同様に、西側(オーバーコッヘン)も一時期、Zeiss Opton という名称でレンズを製造販売していたことは有名である。ヴェラの製造は和解のまえに終了したため、Carl Zeiss Jena 銘のレンズは、商標権闘争により名称の使用が制限される前の製品である。
上のカメラもヴェラIIIであるが、最終期のタイプであり、前面の窓が大きく繋がったデザインとなっている(窓の材質はガラスからプラスティックに変更された)。また、擬革は当初の緑やその後の黒の、革のテクスチャのものとは異なり、布のような規則的な模様のものに変更されている。交換レンズも、上の写真のように、同じ擬革が巻かれたタイプが用意されていた。
左:ヴェラI 右:ヴェラIII
ヴェラは、このフードを兼ねたキャップでも有名である。巻き上げリングにフードの先端をねじ込むと、レンズ部分がすっぽりと隠れて携帯や保管に便利になる。そもそも外装に操作部材がほとんどなく、シャッターボタンも突出していないため、気軽にカバン等に入れられるのが良い。一説では発売時に速写ケースの準備ができない見込みであったため、この方式が採用されたということだが、評判が良かったため、ケースが設定されてからも全てのヴェラでこのキャップが付属した。今でもこのキャップが失われているカメラが比較的少ないことからも、キャップの使い勝手の良さが裏付けられる。
左:ヴェラI 右:ヴェラIII
キャップは2つに別れ、先の蓋をとるとレンズにフードとして取り付けられる。
ヴェラの大きさ
ここでは、ヴェラの大きさを同等の機能を有する他のカメラと比較する。
距離計連動・露出計なし
ヴェラIIIは35, 50, 100mmレンズに対応したフレームを持ち、それらのレンズと距離計が連動する。そこで、35, 50, 105mmのフレームを持つニコンS3と並べてみた。写真のように軍艦部までの高さはほぼ同じであるが、ヴェラはトップカバーにダイヤルやノブを持たないため、その分高さが低い。また、横幅は圧倒的に小さい(S3:136mm, ヴェラ:116mm)。重量も、写真のヴェラIIIが537gであるのに対し、ニコンS3はボディのみで590gある。
ただし、ヴェラの標準レンズはF2.8止まりであること、広角レンズはビハインドシャッターの制約によりレトロフォーカスタイプとなっており大きいこと(ニコンS3はF1.8レンズであってもかなり小さい)、シャッター速度の上限が低いこと(ただしプレスターシャッター搭載モデルは1/750秒であり肉薄している)、フィルムカウンターの復元が手動式、などの差異がある。一方、最短撮影距離が短い(ニコンS3の90cmに対しヴェラは80cm)、レンズシャッター式であるためシンクロ同調速度の上限が高い(X接点は全速で同調する)、などの利点もある。
ファインダ倍率はS3の等倍に対しヴェラが0.67倍であり、有効基線長は倍近く異なるが、上下像合致式のメリットがあり、実用ではS3の精度を凌ぐ印象である。また縮小倍率がかかっているため、35mmレンズの視野全体を見回しやすい。
モダンな造形のため、ヴェラのほうが後のカメラのように感じられるが、実際にはヴェラIII(1957年発売)のほうが1年先に発売されている(ニコンS3は1958年。ただし、さらにスペックの高いニコンSPは1957年発売である)。
距離計連動・露出計あり
次に、露出計を搭載したレンズ交換式レンズシャッターカメラと、ヴェラVを比較する。比較対象は、やはり35mm, 50mm, 80mm の3本の交換レンズに対応し、ファインダ内に3つのフレームを持つレチナIIIC(大窓)(1958年)である。ご覧のように、やはりカメラの高さはヴェラのほうがかなり低い。さらに、ヴェラは3本の交換レンズ全てに対して距離計が連動すること(対してレチナIIICでは、35mm, 80mm レンズを用いた場合は計測した距離値を移し替える必要がある)、露出計がシャッター速度・絞り値・フィルム感度に完全連動する定点合致式であることの2つの大きな違いがある。その他、ファインダ内からシャッター速度と絞り値を視認できること、ファインダの倍率が高いこと、距離計の精度が圧倒的に高いこと(有効基線長がヴェラのほうが約1.5倍長く、加えて上下像合致式である)も大きい。
一方、レチナはなにより折り畳みが可能で携帯時は圧倒的に薄型となること、標準レンズがF2と明るいこと(ただし交換レンズでは、広角レンズはヴェラのほうが明るく、望遠レンズは同じF値だがヴェラのほうが焦点距離が長い)、などのメリットがある。重量はほとんど変わらない(620〜650g)。なお、のちのレチナIIIS(1958年)は蛇腹による折りたたみ機構をやめ、レンズが前群交換式でなく全群交換式となり、露出計が3要素に連動するなどヴェラにより近いカメラであると言える。ブライトフレームがレンズに連動して自動的に切り替わる仕組みも持つが、露出計の表示は依然としてボディ外装にあり、ファインダから目を離して調整する必要がある。もちろんヴェラよりかなり大きく、重さも780gと重い(50mmF2.8レンズ装着時)。
おまけ
ハーフ判カメラ、オリンパス・ペン(初代)と比べてみた。幅、高さの違いはさほど大きくなく、これはフィルムパトローネの大きさの他、レンズシャッターの寸法が関係している(ペンではレンズシャッターをボディに埋め込んだため、ボディの幅がこれ以上小さくできなかった)。もちろん、カメラの厚みは圧倒的に異なる。しかし、見方を変えると、ヴェラはこの大きさに優れたファインダ・距離計を組み込んでおり、その意味で驚異的なカメラである。
接写アクセサリ
ヴェラには純正で、オートアップと同様の接写アクセサリが用意されていた。このアクセサリは距離計の連動のみを補正するオートアップとは異なり、くさび形のような分厚い補正レンズを用いることで、視野全体のパララックス補正も行う。ヴェラの視野は35mmレンズの範囲をカバーするが、このアクセサリをつけると、ファインダから見える範囲が50mmレンズの枠内に限定され、かつ、その範囲がレンズ側へかなりずれる(つまり、パララックス補正される)。
標準レンズ先端のフィルタ枠にねじ込み式で取り付ける。このとき方向を調整しつつもしっかりと固定出来るよう、取り付けリングはダブルナットのようになっていて、前のリングで取り付けたあと、後ろ側のリングを締めることで補正レンズの向きが固定される。ヴェラのフォーカスリングはレンズの先端にあり、前玉が回転するかのように見えるが実際には直進ヘリコイドで、レンズ前群と後群の間にある絞りともども、全体が回転せずに前後に平行移動する。そのため、このアクセサリを付けたままフォーカスリングを操作して倍率を調整することができる。
この個体(Werra Naheinstellgerät 2)は2種類あるうちの倍率が高い方(より近接して撮影するほう)であり、撮影距離の範囲が0.3〜0.4m, クローズアップレンズの焦点距離が 340mm となっている。もう1つ、撮影距離が0.4〜0.8m で、クローズアップレンズの焦点距離が 690mm の Werra Naheinstellgerät 1 がある。なお、Naheinstellgerät は close focus device (近接フォーカスデバイス)の意味である。
このWerra Naheinstellgerät 2では計算上、最大で撮影倍率が 1/5 倍程度になり、はがきより一回り広いぐらいの領域を画面いっぱいに撮影することが出来る。
冒頭の写真ではアクセサリが傾いて取り付けられているよう見えるが、そうではなく、クローズアップレンズ部分に対して補正レンズがそもそも傾くように作られている。黒色の貯め見えづらいが、補正レンズの前ケースとクローズアップレンズを繋ぐ部分はダイキャスト製で、分厚いレンズと相まって、思いのほか重量感のあるデバイスとなっている。
撮影例
Tessar 50mm F2.8
Tessar 50mm F2.8 + 接写アクセサリ f=340mm
Flektogon 35mm F2.8
Cardinar 100mm F4
ヴェラの歴史
第2次世界大戦後、カール・ツァイスの技術者の一部は東側への技術流出を恐れた米軍に連行され、オーバーコッヘンで西側のツァイスを立ち上げる。一方、本拠地イエナは東西分割の東側にあったため、結果としてカール・ツァイスは東西に分裂した。製造設備がソ連へ持ち出されたりと紆余曲折ののち、イエナでカメラの製造が再開されたが、これらは戦前から様々なカメラを製造してきたツァイス・イコンの流れを汲んだ組織(人民公社ツァイス・イコン)によるものであり、これは数回の組織変更の後、最終的に人民公社ペンタコンとなる。この人民公社ツァイス・イコンが製造したカメラは一眼レフのコンタックスSシリーズ(輸出先によってはペンタコン名)、テナックスIとタクソナ、エルコナなどである。それに対し、戦前のカールツァイスと戦後東側の人民公社カールツァイス・イエナは一貫してレンズ製造などを業務とし、カメラはほとんど手掛けてこなかった(例外として、イエナでは1947年頃に僅かな数のコンタックスIIが製造された。それにはカールツァイス・イエナのロゴが刻まれ、イエナ・コンタックスと呼ばれる)。しかし東ドイツでは経済低迷、物資不足が深刻化し、民衆の不満が高まる。市民によるカメラの要求も高かったが、エクサクタなどを含む東ドイツ内で製造されたカメラは外貨獲得のためにほとんどが輸出されていた。そのような状況を打開するため国策に基づきカメラの製造が命じられた。当初は他社製品をライセンス製造するよう求められたが(実際、同時期、ラインメタル人民公社がイハゲー社のエクサをライセンス生産しており、同様の状況であったと考えられる)、技術責任者ルドルフ・ミューラーは独自に新しい設計を行うことを認めさせた。そして1954年から約14年間、距離計や露出計などの機能追加を経ながら製造された。
年 | ヴェラ | ヴェラ備考 | 露出計、レンズ交換機能、複数フレームを持つ主な35mmカメラ (赤字はフォーカルプレーン機、その他はレンズシャッター機) |
---|---|---|---|
1949 | キヤノンIIB(50, 100, 135mm変倍ファインダ) | ||
1950 | コンタックスIIIa(露出計) | ||
1951 | プロミネントI(レンズ交換) | ||
1952 | パクセッテII(レンズ交換) | ||
1953 | ライドルフ ロードマート(レンズ交換) | ||
1954 | 初期型、I | イエナで製造(翌年からアイスフェルト製) | ライカM3(50, 90, 135mmフレーム自動切替), レチナIIc/IIIc(前群レンズ交換)、ヴィテッサL(露出計) |
1955 | トプコン35B(42mm, 80mmフレーム固定) | ||
1956 | キヤノンVT(35, 50mm, 測距用の変倍ファインダ), レニングラード(35, 50, 85, 135mm のフレーム固定、ヴェラIIIと同様の光学系), プロミネントIa(35, 50, 100mmフレーム固定) | ||
1957 | II, III, IV | 35, 50, 100mmレンズ交換と対応フレーム、距離計、単独露出計 | ニコンSP(28/35mm用ファインダと50, 85, 105, 135mmフレーム手動切替), レチナIIC/IIIC大窓(35, 50, 80mmフレーム固定), ヴィテッサT(レンズ交換)、ヴィトーBL(露出計)、アグファアンビジレッテ(35, 50, 90mmフレーム手動切替), オリンパスワイドE(日本初の露出計搭載)、ミノルタスーパーA(50mmフレーム、視野全体で35mm) |
1958 | ニコンS3(35, 50, 105mmフレーム固定), キヤノンVI T(35, 50/100mm, 測距用の変倍ファインダ), レチナIIIs(固定鏡筒、35, 50, 85, 135mmフレーム自動切替、連動露出計), プロミネントII(35, 50, 100mmフレーム固定), ヴィトマチックI(連動露出計), コニカIIIM(露出計), アイレス35V(35, 45, 100mmフレーム固定, 露出計), オリンパスエース(35, 45, 80mmフレーム固定), オリンパスオート(連動露出計) | ||
1959 | キヤノンP(35, 50, 100mmフレーム固定), ヤシカYF(50/100mmフレーム固定、視野全体で35mm) | ||
1960 | V | 連動露出計 | レチナオートマティックI(自動露出) |
1961 | mat, matic | 露出計から蓋を廃止 | キヤノン7(露出計, 35, 50, 85/100, 135mmフレーム搭載)、キヤノネット(自動露出) |
この表は、1950年代前後のレンジファインダーカメラの高機能化をまとめたものである。まずレンズ交換を前提としたフォーカルプレーンシャッター機で、複数のレンズに本体のファインダで対応しようとする努力が続けられたが、そのような高級機を手掛けたメーカ数が少ないことと、同時に一眼レフへの移行が始まったため、対応したボディは意外に少ない。それに対し、レンズシャッターカメラはより普及帯のカメラが中心でメーカも多く、様々な提案があったが、こちらはその後、自動露出化の流れとともにレンズ交換式のカメラは見られなくなる。
ヴェラは最初の立ち上げ期のみイエナで少数が製造されたが、基本的にはイエナから約80km南西にあるアイスフェルト (Eisfeld) に整備した工場で製造された。最終的にシリーズ全体で60万台前後が製造販売されたとされ、そのような経緯から、ヴェラはカールツァイス・イエナ自身が設計した唯一のカメラシリーズであると言われている。ヴェラの名称は、アイスフェルト付近を源流とするヴェラ川からとられた。
参考文献
- Die Werra - Walter Ulbrichts Volkskamera?(
ヴェラ:ヴァルター・ウルブリヒトの大衆カメラ)(ドイツ語)
ヴェラに関するもっとも詳しい情報。ヴェラ製造の様子など、写真だけでも見どころたっぷり。日本語で読むにはこちら。 - 紺田楠二、ヴェラ、クラシックカメラ専科No.16, 朝日ソノラマ、 pp.147-149, 1990.
- 水川繁雄、招き猫テナックスの子供達 フロント巻き上げレバーのカメラとその発展、クラシックカメラ専科No.40, 朝日ソノラマ、 pp.114-119, 1996.
- 水川繁雄、カール・ツァイス・イエナが作ったユニークな35mmレンズシャッターカメラ「ヴェラ」、クラシックカメラ専科No.81, 朝日ソノラマ、 pp.56-60, 2006.
- VEB CARL ZEISS JENA Werra 3, 別冊ステレオサウンド ヴィンテージカメラセレクション, ステレオサウンド, pp.80-85, 1999.
- 竹内久彌, レンズ交換式35mmレンズシャッターカメラの歴史, 2014.